「孤独」で寂しいと感じているなら①

仕事を終えて帰路につく。

疲れがどっとあふれると同時に、今日も無事一日を乗り切ることができた安堵の気持ちで満たされる。

 

今日もいい仕事をした、やり切った、と思えた日も。

取るにつまらないミスをして周囲に迷惑をかけ、もやもやした感情が残った日も。

何事もなく平凡に仕事を終えた日も。

 

どんな日でも、一日の終わりと同時にどこか解放された気持ちが沸いてくるあの瞬間。

この瞬間は一日のうちの最大のご褒美だとも思える。

 

しかし、その一方でこうも感じる。

 

「なんだか虚しい」

 

「孤独」という二文字がしっくりとくるなんとも言えない虚しさ。

帰路につき、やっと一人時間を満喫できると心が軽やかになったのも束の間。

無意識のうちに「孤独な人」という肩書を身にまとってしまったとも感じる。

 

これから始まる夜時間に、一人を満喫できることには心が躍る。

でも同時に、「孤独」という言葉が目の前にちらつき、一人時間を全力で楽しめる気がしない。

 

一体どうしたものか。

「一人時間」と「孤独」の両極が足の引っ張り合いをし、体のどこかに力が入り続けているような苦しさが抜けない。

 

「孤独」に敏感になっていませんか?

家に帰ると、なんだか満たされない気持ちになる。

一人時間が好きなのに、一方で「孤独」も感じてしまう。

自分には家族も友人も仕事仲間もいるのに、どうもしっくりこないがゆえ、「孤独」を満たしてくれる「何か」を探し続けてしまう。

 

そう感じているあなたは、「孤独」に対して敏感なのかもしれません。

 

では、なぜ「孤独」に対して敏感に反応してしまうのでしょうか?

もし「孤独」に対して何の躊躇もなければ、どんな自分になれますか?

 

「孤独」に対して敏感なのは、「孤独な人」を蔑んでいるから

「孤独」に対して敏感反応してしまうのは、「孤独」は社会に適応できないダメな人が陥るものだ、という印象を持っているからかもしれません。

そして、「孤独」な状況にある人を蔑んでいるからかもしれません。

 

もしあたなが、そんな「孤独」な状況にあると感じてしまったら。

 

安易に他人に知られたくないと思うかもしれません。

一気に自己肯定感が下がってしまうので、自分でも認められないかもしれません。

無意識のうちに「孤独」を埋めようと、さらなる苦境に自分を追いやっているかもしれません。

 

次回は、「孤独」に敏感であることについて考えていきます。