「孤独」で寂しいと感じているなら②

あなたは「孤独」に対して、このように考えたことはないでしょうか?
- 「孤独」とは、寂しく虚しもの
- 「孤独」とは、誰からも必要とされない残念な人間の行き着く場所
- そんな「孤独」な状態に陥ってしまったのは、まぎれもなく自分のせい
- だから、「孤独」である自分は、恥ずかしくて隠したい存在
そう、「孤独」とは、たどり着きたくなかった絶望的な状態。
ここまで思っていなかったとしても、少なくとも「孤独」という言葉にはネガティブなイメージが付きまとっているのではないでしょうか?
でも、ここではっきりとお伝えします。
「孤独」とは、絶望の象徴でもなければ、恥ずべきことでもなければ、あなたのせいでもないということです。
「孤独」に対して敏感になってしまうのは、「本質」に気づいているから
人は、誰しもが一人で生まれて一人で死んでいく
この事実はごく当たり前のことです。
しかし、その「本質」とはなんでしょうか?
人はもともと「孤独」である
これが「本質」です。
しかし、日々の生活の中では、面白いことや楽しいことを追いかけまわしたり、一方で仕事や家庭が忙しいことで時間を費やしてしまいます。
日常は、これだけで手一杯です。
あれをしたい、これをしたい、でもその前にこれはやらなきゃいけない、と日々をバタバタと過ごす。
これらは、本来認識すべき「本質」をかき消してしまいます。
日々のバタバタが、私たちを思考停止に追い込んで、人の「本質」を見失わせているのです。
「孤独」とは、「強さ」の象徴
もしあなたが、自分のことを「孤独だ」と感じることを恐れずに、避けずに、気づかないふりもしなかったら?
「孤独」を真っ向から受け入れることができたら?
それは、人の「本質」ときちんと対峙しているということです。
つまり、人の「本質」を受け入れられる「強さ」があるということです。
決して恥ずべきものではありません。
蔑むことでもありません。
隠したくなるようなことでもありません。
人の「本質」を受け入れる「強さ」がある。
「孤独」を受け入れるということは、とても勇敢なことなのです。
次回は、「孤独」と向き合うあなたへメッセージです。